2011年08月30日
生活の中のリハビリ
今までHP自宅で行うリハビリ の検索語句の中で
顕われては消え・顕われては消え していた語句が有ります
それが 生活の中のリハビリ です
まあ物事 何かを始めようとしたときにどうしても避けては通れないことが有り、それなしでは先に行けないことって有ります
例えば
目的は? それで何をしようとしているの?
そして
必要最低限 今置かれて状況はどうなの?
という確認ですが これだけは皆無意識に行っていると思います
子供の遊びにしても 鬼ごっこをする と決めなければ何も始まりません
しかも実現するには最低限2人必要です
ところが これが自分自身のことになるとなかなか現状把握が出来ず
目標も見失いがちになるのですね? 皆さんはどうですか?
私なんかは この「自宅で行うリハビリ」で起業して今がほぼ1年半経ったところですが
約1年で耳下腺癌を発症し 手術・・・・ かなりひどい顔面神経麻痺を抱えた状態で これに思わぬ足を引っ張られています
それでもこの仕事を止めようと思った事は有りませんが 自分自身を改めて把握し直さなければなりません・・・・
状態の変化に伴い スッテプバイスッテプなので 進んでは止まる作業の繰り返しです
その中で初めて自分や目標がブレルと云う経験をしました
これは良い悪いという価値基準ではなく 今置かれている、その事実や状況を認められるのか? という自分への問いかけと受け入れ能力の問題にもなります
望みの叶えられないような状況は 誰も認められないし 認めたくないことですから・・・・
そして リハビリ的思考でも有りますが・・・・ 全ては今置かれている状況を正確に把握し、目標を明確にすることから始まるという 当たり前の事実を再度認識することになりました
そして元に戻って この 「生活の中のリハビリ」 と云う言葉は 具体的な生活の意味にもリハビリの持つ問題にも触れてい無いので、状況や目標を示す言葉ではないと云う点に着目して頂きたいと思います。
とても沢山の内容を このように簡単にイメージできる短い簡潔な言葉にするのは非常に大切なことです。
しかし
生活・中・リハビリ という簡単な言葉の羅列によって、あたかもその意味することから、自分の置かれている現況や目標までが説明し尽くされた様な錯覚を起こします。
自分の置かれている現実が生活と云う言葉で置き換えられ、まるで特別な問題ではないかのように感じます。実際は各人が特別な存在で、特殊な状況に生きています。
そして訓練技術に危険を伴う事や 選んだ機器によっては事故が起こることも伝わりません。
しかも実際のリハビリは哲学的な思考から現実の高度な技術や複雑な制度、家屋改造や福祉機器にまで跨る 大きな世界観を構築しています
自分が今年の初めから 自分自身のこととして人生を振り返り、多くの欠落や不足を自覚し 更に目標を明確にし どう解決するのかをずっと考え続けて来ました
そしてこれとほぼ同じ手順でリハビリ的思考を使い、「生活の中のリハビリ」を記事として取り上げよう、そしてリハビリが必要だと感じられるご本人やご家族に向けて 手順の踏み方を各コンテンツの記事とは別に再度説明・解説しようと思いました
自分個人のことだけで半年も掛かかり しかもまだ終わりません。それも有る奇遇によって、ある人物と出会わなければ欠落や不足に気が付けなかったのです・・・
しかしリハビリは知識や技術で、考え方の基準になる物がきちんと存在していますから、奇遇を待つ必要はありません
それで、再び検索語句に載ったこの機会に 皆さんにきちんとした目標を持ってリハビリを利用して頂ければと思うのです
また 生活の中のリハビリと云う言葉が有ることからもお分かり頂けると思いますが、実際に私たちの生活にとって、リハビリはとても有意義で利用価値の高いものです。 ぜひHP自宅で行うリハビリを覗いてみて頂ければと思います
生活の中のリハビリは今回分と合わせて 全3回でまとめる予定です
顕われては消え・顕われては消え していた語句が有ります
それが 生活の中のリハビリ です
まあ物事 何かを始めようとしたときにどうしても避けては通れないことが有り、それなしでは先に行けないことって有ります
例えば
目的は? それで何をしようとしているの?
そして
必要最低限 今置かれて状況はどうなの?
という確認ですが これだけは皆無意識に行っていると思います
子供の遊びにしても 鬼ごっこをする と決めなければ何も始まりません
しかも実現するには最低限2人必要です
ところが これが自分自身のことになるとなかなか現状把握が出来ず
目標も見失いがちになるのですね? 皆さんはどうですか?
私なんかは この「自宅で行うリハビリ」で起業して今がほぼ1年半経ったところですが
約1年で耳下腺癌を発症し 手術・・・・ かなりひどい顔面神経麻痺を抱えた状態で これに思わぬ足を引っ張られています
それでもこの仕事を止めようと思った事は有りませんが 自分自身を改めて把握し直さなければなりません・・・・
状態の変化に伴い スッテプバイスッテプなので 進んでは止まる作業の繰り返しです
その中で初めて自分や目標がブレルと云う経験をしました
これは良い悪いという価値基準ではなく 今置かれている、その事実や状況を認められるのか? という自分への問いかけと受け入れ能力の問題にもなります
望みの叶えられないような状況は 誰も認められないし 認めたくないことですから・・・・
そして リハビリ的思考でも有りますが・・・・ 全ては今置かれている状況を正確に把握し、目標を明確にすることから始まるという 当たり前の事実を再度認識することになりました
そして元に戻って この 「生活の中のリハビリ」 と云う言葉は 具体的な生活の意味にもリハビリの持つ問題にも触れてい無いので、状況や目標を示す言葉ではないと云う点に着目して頂きたいと思います。
とても沢山の内容を このように簡単にイメージできる短い簡潔な言葉にするのは非常に大切なことです。
しかし
生活・中・リハビリ という簡単な言葉の羅列によって、あたかもその意味することから、自分の置かれている現況や目標までが説明し尽くされた様な錯覚を起こします。
自分の置かれている現実が生活と云う言葉で置き換えられ、まるで特別な問題ではないかのように感じます。実際は各人が特別な存在で、特殊な状況に生きています。
そして訓練技術に危険を伴う事や 選んだ機器によっては事故が起こることも伝わりません。
しかも実際のリハビリは哲学的な思考から現実の高度な技術や複雑な制度、家屋改造や福祉機器にまで跨る 大きな世界観を構築しています
自分が今年の初めから 自分自身のこととして人生を振り返り、多くの欠落や不足を自覚し 更に目標を明確にし どう解決するのかをずっと考え続けて来ました
そしてこれとほぼ同じ手順でリハビリ的思考を使い、「生活の中のリハビリ」を記事として取り上げよう、そしてリハビリが必要だと感じられるご本人やご家族に向けて 手順の踏み方を各コンテンツの記事とは別に再度説明・解説しようと思いました
自分個人のことだけで半年も掛かかり しかもまだ終わりません。それも有る奇遇によって、ある人物と出会わなければ欠落や不足に気が付けなかったのです・・・
しかしリハビリは知識や技術で、考え方の基準になる物がきちんと存在していますから、奇遇を待つ必要はありません
それで、再び検索語句に載ったこの機会に 皆さんにきちんとした目標を持ってリハビリを利用して頂ければと思うのです
また 生活の中のリハビリと云う言葉が有ることからもお分かり頂けると思いますが、実際に私たちの生活にとって、リハビリはとても有意義で利用価値の高いものです。 ぜひHP自宅で行うリハビリを覗いてみて頂ければと思います
生活の中のリハビリは今回分と合わせて 全3回でまとめる予定です
Posted by jitakuderihabiri at 16:39│Comments(0)
│リハビリの練習
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。