2010年11月11日
横浜で
昨日はお昼頃家を出て、横浜・根岸の叔父のいる
老人ホームに行ってきました。
乗換駅の桜木町駅前

こちらではとても良く休めるようで、凄く元気になっていました。
ホームのスタッフは若い方が殆どですが、本当に良くしてくれます。
叔母は老健でリハビリをしていた叔父が
特養に移ってリハビリが無くなったことで
不安と焦りを感じ、私にリハビリを頼んでくれたのです。
しかし出かけて様子を見ると、9月の初めには殆ど眠って過ごしていました。
意識もぼんやりしていて、もともと はしっこいと云って良いほど、
頭の回転が速く、体も良く動く人でした。
周りを楽しませ、自分も楽しむ事が得意だったのが
何を訪ねても、暫くしてからやっと返事をするような状態です。
京大の理学部で地球物理学を専攻した、面白い経歴の叔父…
地下の石油の有る場所を推定するのが仕事で、家族一緒にイギリスに長い事居ました。
そんな叔父から考えると、体調まではまだ十分に回復していないと考えられました。
まだまだ良く休むことで、元気になる部分が大きいから、
ゆっくりやって行きましょう、と叔母には伝えていました。
それでも昨日、叔父の練習の様子を見るまではそのことも半信半疑だったようで、
身内の言葉はなかなか、正当に評価されないようです。
昨日はバージャー氏体操を軽く行い、寝て行う片麻痺のバランス訓練をざっとしてから
車いすに乗って、外を散歩するという練習プログラムの予定でした。
この日まではバラバラに、バージャー氏体操を少し、リラクゼーション体操も少し、バランス訓練は
ほんの少ししか出来ず、何をしてもすぐに疲れて眠っていました。
私も用事が立て込んできたことも有り、昨日は2週間以上間が空きました。それが逆にタイミングが良かったのか、緊急課題とした練習をざっとですが、初めて全部出来ました。そしてずいぶんしっかりしたなと思いながら「さあ外に散歩に行きましょう」と云うと、お下の心配や胃瘻のこと、処置などが有るから外には行けないと訴えます。今まで会話も成立せず、すぐにボーっとして眠ってしまっていたのに、驚くべき変化でした。
そして、スタッフの方にじかに許可を頂いて、寝返りをして、起き上がり…これは肘の次に手のひらを着くことを忘れたようで、そこだけ手伝いました。腰かけて、自ら靴を履き、近付けた車いすにほとんど一人で乗り移りをしました。これには驚きました。バランスが崩れなかったことに感激し、自分で靴が履けたことに驚き、自発的に立ち上がり車いすの肘掛をつかみ直して、向きを変えて座り、手を出す暇がないくらいでした。ただ体は予想通り、反対向きにまで成れず、腰の回転を4/1介助しました。
これを見て何だかこちらが励まされてしまい、次も頑張って来ようと、とても嬉しい訪問になって来たのです。眠ってばかりの時間が大切だとはわかっていても、次も同じだったらどうしようと思い、さらに3週間、間を空けなくてはならないのか? 本当にこんなので練習が進むのか?…訓練の進む様子や、かかる時間は受けたダメージの大きさで決まることが多いので、叔父さんはもう駄目なのか? と私の方が気弱になるところでした。
だから思わず、ここに成果を書いてしまいました。倒れてから今3年目で、老健でも丸2年以上リハビリをしたのに、未だ休養が不十分なのです。リハビリ効果は確かに倒れてから6か月までがピークかもしれません。しかしそれは体調の回復が同じように6か月でピークを迎えればと云うことです。
いずれどの時点かで体調の回復もプラトー(これ以上の回復が見込めない状態)を迎えますが、全ての場合に6か月がその時点だとは言い切れないはずなのです。…授業を受け持って下さった、沢山の医学部の教授、現場で訓練中の先輩方、担当してくれた専任教師たちから、脳の病気の回復には平均で3年、長くて5年の時間が掛り、その間には身体能力の回復が見込めると、口を酸っぱくして習ったのですから…。その経験の積み上げが、無駄になって行くようで現行の保険制度の考え方がとても気になっています。
エイペック初日で物々しい警護。バスで老人ホームから桜木町に向かい、警護網に引っ掛かって駅前で立ち往生しました。そのバスの中からの写真です。

段々暗くなって来ました。

老人ホームに行ってきました。
乗換駅の桜木町駅前
こちらではとても良く休めるようで、凄く元気になっていました。
ホームのスタッフは若い方が殆どですが、本当に良くしてくれます。
叔母は老健でリハビリをしていた叔父が
特養に移ってリハビリが無くなったことで
不安と焦りを感じ、私にリハビリを頼んでくれたのです。
しかし出かけて様子を見ると、9月の初めには殆ど眠って過ごしていました。
意識もぼんやりしていて、もともと はしっこいと云って良いほど、
頭の回転が速く、体も良く動く人でした。
周りを楽しませ、自分も楽しむ事が得意だったのが
何を訪ねても、暫くしてからやっと返事をするような状態です。
京大の理学部で地球物理学を専攻した、面白い経歴の叔父…
地下の石油の有る場所を推定するのが仕事で、家族一緒にイギリスに長い事居ました。
そんな叔父から考えると、体調まではまだ十分に回復していないと考えられました。
まだまだ良く休むことで、元気になる部分が大きいから、
ゆっくりやって行きましょう、と叔母には伝えていました。
それでも昨日、叔父の練習の様子を見るまではそのことも半信半疑だったようで、
身内の言葉はなかなか、正当に評価されないようです。
昨日はバージャー氏体操を軽く行い、寝て行う片麻痺のバランス訓練をざっとしてから
車いすに乗って、外を散歩するという練習プログラムの予定でした。
この日まではバラバラに、バージャー氏体操を少し、リラクゼーション体操も少し、バランス訓練は
ほんの少ししか出来ず、何をしてもすぐに疲れて眠っていました。
私も用事が立て込んできたことも有り、昨日は2週間以上間が空きました。それが逆にタイミングが良かったのか、緊急課題とした練習をざっとですが、初めて全部出来ました。そしてずいぶんしっかりしたなと思いながら「さあ外に散歩に行きましょう」と云うと、お下の心配や胃瘻のこと、処置などが有るから外には行けないと訴えます。今まで会話も成立せず、すぐにボーっとして眠ってしまっていたのに、驚くべき変化でした。
そして、スタッフの方にじかに許可を頂いて、寝返りをして、起き上がり…これは肘の次に手のひらを着くことを忘れたようで、そこだけ手伝いました。腰かけて、自ら靴を履き、近付けた車いすにほとんど一人で乗り移りをしました。これには驚きました。バランスが崩れなかったことに感激し、自分で靴が履けたことに驚き、自発的に立ち上がり車いすの肘掛をつかみ直して、向きを変えて座り、手を出す暇がないくらいでした。ただ体は予想通り、反対向きにまで成れず、腰の回転を4/1介助しました。
これを見て何だかこちらが励まされてしまい、次も頑張って来ようと、とても嬉しい訪問になって来たのです。眠ってばかりの時間が大切だとはわかっていても、次も同じだったらどうしようと思い、さらに3週間、間を空けなくてはならないのか? 本当にこんなので練習が進むのか?…訓練の進む様子や、かかる時間は受けたダメージの大きさで決まることが多いので、叔父さんはもう駄目なのか? と私の方が気弱になるところでした。
だから思わず、ここに成果を書いてしまいました。倒れてから今3年目で、老健でも丸2年以上リハビリをしたのに、未だ休養が不十分なのです。リハビリ効果は確かに倒れてから6か月までがピークかもしれません。しかしそれは体調の回復が同じように6か月でピークを迎えればと云うことです。
いずれどの時点かで体調の回復もプラトー(これ以上の回復が見込めない状態)を迎えますが、全ての場合に6か月がその時点だとは言い切れないはずなのです。…授業を受け持って下さった、沢山の医学部の教授、現場で訓練中の先輩方、担当してくれた専任教師たちから、脳の病気の回復には平均で3年、長くて5年の時間が掛り、その間には身体能力の回復が見込めると、口を酸っぱくして習ったのですから…。その経験の積み上げが、無駄になって行くようで現行の保険制度の考え方がとても気になっています。
エイペック初日で物々しい警護。バスで老人ホームから桜木町に向かい、警護網に引っ掛かって駅前で立ち往生しました。そのバスの中からの写真です。
段々暗くなって来ました。
Posted by jitakuderihabiri at 17:55│Comments(0)
│リハビリの練習